月額20万円あれば、夢を追えるか?
自由に生きない時間は無駄
人間は、自由だ。
人生は自由に生きることができるはず。
好きなことだけして、ずっと生きていくべきなんだと思う。
けれどだいたい4割の人は好きな仕事をしていないらしい。
現在の私もそうである。
そういふひとには大きく分けて二つあって、好きなことがない場合と好きなことはあるけれど金銭的な問題で働いている場合だ。
後者の場合、もはや働くという行為は人生を拘束している。
自由に生きるべき人生が働くという行為で不自由にされている。
人間は好きなことをするべきだと思う。
金銭的な問題で不自由を強いられるのはとてももったいない。
社会的にも個人の人生においても損失が非常に大きい。
もしすべての人が好きなことを仕事にできたならば、生産性は大きく向上するのではないだろうか。
月20万円の保証
そういう意味でも月額20万は保障する必要がある。
20万あれば、東京でも不自由なく暮らせるだろう。
もちろん娯楽は大してできないが、最低限度の暮らしはできる。
私は一流大学を出て新卒で就職したが、手取りで17万程度である。
これでも一応生活はできているのだから、一人暮らしでも独身なら十分である。
この程度の経済的基盤さえあれば、集中的に創造的な行為に従事できる。
キャリアチェンジも流動的になるだろう。
かといって現在の日本の社会保障にそれを求めることは難しいだろう。
月額20万はそこまで大きな金額ではないが、一人で稼ごうとすれば大変だ。
ここでいう稼ぐはコンビニバイトなどではなく、受注などで個人が金の流れを掴みながら自分で得る対価のことである。
サラリーマンでも、会社に依存して生きていれば、バイトと本質的にはなんら変わらない収入の獲得をしている者は多いだろう。
そういう生き方には今後限界が訪れる。もはや、会社も社会も個人とかなり乖離して残り続ける。個人は個として生きていく力を身につけていかなければ、生き残ることは難しい。
個として生きる力
個人として生き抜く力を身につけていかねばならない。
これは私が10年間ずっと考えていることだ。しかし、未だその力が自分にはなんら身についていない。今、会社を辞めたら、私はアルバイトに従事するしかないだろうか。
個人として生きる力とは具体的にはなんだろうか。
プログラミングやweb技術だろうか。
コピーライティングなどの文章技術だろうか。
営業などのコミュニケーション能力だろうか。
はたまた経営者に求められるリーダーシップや人を巻き込む力だろうか。
湧いて出てくるエネルギーだろうか。
すべて正しいだろうが、すべてに備わっていなければならない当然の力はなんだろうか。
それは、自分で考える力である。
自分の頭で思考し、自分で取捨選択し、自分で人生を選び抜く力。
自分の行きたい人生や夢を明確にし、そこに邁進する行動力。
行動力とは極めて個人的な力だ。
誰かのせいだとか、環境だとか、外部的な要因を言い訳にしていては、行動などはできない。
行動するために何が必要か自分で考え、最適解ではなくとも、行動という行為を選び取る。
考えて、行動するのか。行動して、考えるのか。
人によって順序は別であっても、必ずこの二つが求められる。
逆に行動すること、考えること、このどちらかが抜けていたとしたら、
個人として生き抜くのは難しい。
大企業に属する、エリートコースを歩む
ここからは極めて個人的な話であるが、私は大学に就職するために行ったのではない。
慶應大学は世間的に一流と呼ばれる大学であり、就職すれば大半は日本を代表する一流企業に行く。
しかし、私はそこに対して何も羨ましいとは思わなかった。少なくとも大学に入る前は。エリートコースとは自分がかなり離れた存在であることは、すでに幼少期から自覚していたので、どちらかというとドロップアウトした成功者の人生に憧れた。
だから、お笑い芸人や映画監督、ホリエモンのような経営者に強い興味を抱いたのだ。
しかし、結局は就職してしまった。
そして、大企業ばかりを受けた。
大学で長期間過ごすにつれ、学歴に対するコスパを求めるようになってしまった。
要するに、もったいないと感じてしまったのだ。
なんて、卑しい人間なのだろうか。
結局のところ、超大企業には入れず、大企業の子会社に就職した。なんともパッとしない、一番望まないキャリアを踏むことになった。
そしてまた、大企業いいなあなんて思ったりする。
一方で、月額20万あれば、自由に生きようとも決めている。
フリーランスで、あわよくば自動収益化して20万稼げれば、キャリアプランはがらりと変わる。
大学とはモラトリアム期間であり、様々な環境に挑戦して、積極的にやりたいことを見つけるものとされている。しかし、その期間私は全くお金がなく、やりたいことに飛び込むことはなかった。つまるところ、行動力が乏しかったわけである。
けれど、やはり人間は自由に生きるべきである。
25歳は世間的にギリギリなのかもしれないが、人生50年と考えればまだ半分もある。半分もやりたくないことをやるより、やりたいことをやる10年のほうがよっぽど充実した人生であろう。
私は幼少期からずっとものづくりをしてきたし、それは本当にそれが楽しかったからだ。好きかどうかなんて考えたこともない。おそらく私はものづくりに関わっていないと楽しくない人間である。だから、そこにストレートに突っ込むべきだ。
非常に遅いのは重々自覚しているが、私はどのものづくりにすべての人生を捧げたいかが未だに不明確である。だから後5年はせめて、自由に好きなことにチャレンジして生きたいと思う。もちろん、月額20万と資金があればである。
具体的には以下の分野にパラレルキャリアを踏んでいくだろう。
・映像制作→デジタルハリウッドCGコースor映像制作会社
・漫画→漫画家アシスタント
・情報工学→IT系事業会社
人間は一つの分野しか歩めない、一つの道にしか進めないなんて、そんな常識に縛られていきたくはない。
得意不得意、向き不向きも、もはや本質的ではない。
金銭的不自由がなければ、いますぐ飛び込んでいくだろう。
現実的には資金として300万、月額20万の経済的自由がなければ難しい。
しかし、資金の問題で、時間を消費すると考えると、実にもったいない。
もったいなさすぎて、生きるのが非常に嫌になってくる。
ある意味ポジティブな意味で、死にたいと思うのである。
このままでは私はうだつの上がらないサラリーマンになるだろう。
どちらにせよ成功しないのならば、私はおもしろい人生を選択したい。
おもしろいというのは成功と失敗どちらにもある。
人に話した時に、1行で終わる人生は、もうやめよう。