新卒広告サラリーマンのつぶやき

経済的な自由を求めて

海賊になることができるのに、どうして海軍に入るんだい?

 

 

 

 

 

 

発達障害という言葉を見ると、ついつい目を向けてしまうし、ドキッとしてしまう。

私自身、20歳の頃、自分がそういうカテゴライズをされる側にいることに気づいた。

私が匿名ブログに投稿したアスペルガーであることを嘆く記事は、年間ランキングでトップ10に入ったらしい。

 

でもだからといって、発達障害というレッテルを自ら貼ろうとはしなかったし※、そういう認識は自分だけがしてればいいと思って診断書は受け取らなかった。

 

実際は発達障害というレッテルをもらうために診断にいった。問診も検査も受けなくとも絶対的な確信があり、そこに自らを寄せにいった感は否めない。そのレッテルで私はある意味救われたし、発達障害でなかったらおそらく死んでいた。

 

そもそも発達障害の正式な診断ができる医師は日本にほとんどいない。

現在はほとんどブームのように簡単に発達障害の診断を下し、あるいは診断されなくとも、自分自身が発達障害だと思い込む人が多い気がする。

もちろん、自身が発達障害であるという認識を持ち、特徴を理解することで、自分の性格の問題ではないということで救われるのならなんら問題はない。

発達障害というものに対する社会的な理解が、進めば進むほど、当事者にとっては生きやすくなるだろう。

 

しかし、だからといって発達障害であってもなくても、その人の人生における問題はつきまとう。

発達障害を理由に、幸せになれない人生を歩んでしまっても、人生は一度きりなのだ。発達障害を言い訳にして生きても、辛いだけだろう。

そもそも発達障害を障害とする社会的状況のほうが、よっぽど障害である。

 

発達障害の多くは一般的な総合職としてのサラリーマン人生を全うするのは難しいかもしれない。

私もそうである。

おそらく、いや気持ちとしては今すぐにでも、会社を辞めたいと思っている。

 

 

www.gifted.academy

 

 

このスクール、もっと早く知りたかった笑

私は診断書は受け取ってないので、おそらく受講資格はないのだろうけれど、なんだかすごく悔しい。

このスクールの代表は私と同じ慶應義塾大学の在籍で、同じ1991年生まれだ。

そして私と同じようにADHDであると言っている。

私は自分が起業したり、人を巻き込む力がなかったり、プログラミングをうまく習得できないのは自分自身の発達障害に一因があると思っていたのだろう。

どこかでそれを言い訳にしていた。

しかし、違ったようだ。

代表と同じような背景を持つのに、私が「できない」のは、やはり私自身の能力、性格にやはり問題はあるのではないだろうか。

もちろん、障害の程度の問題や人生の背景、環境、あらゆるものは違うのは比較することはできない。(北海道の模試を受けていたと書いてあるので、北海道出身?だとすれば出身地も同じだ。)

ただ、非常に悔しく、辛い。

一方で、希望でもある。

発達障害を言い訳にしなくてもいいのだ。

言い訳にはできないのだ。

発達障害者は一般的な生き方を歩むのは難しい。

逆に言えば海賊になることができるのだ。

海賊になることができるのに、どうして海軍に入るのだろうか。

 

Why join the navy if you can be pirate?

 

 

※追記 

 

blog.livedoor.jp

 

5年も前なのに検索したら、あったよ黒歴史

さすがに盛りすぎだと思うけれど、このとき書いていた人生観というか今後の未来予測はかなり当たっていると思う。結局そのうち嫌われたり、人間関係を継続的に気付けないのは永遠に治らなそうだ。もう今は受け止めてるけどね。

自分を卑下して同情を買うような文章力はうまいんだな俺は、昔から。

 

 

2012年はてな匿名ダイアリー名作ランキング50選

 

年間ランキング35位だった。だいぶ盛ってた。

 

このときはなんとか解決出来るかなんて淡い期待をどこか抱いて大学生活を続けることにしたけど、何も解決しないで何も身につかず25歳になってしまったな。人間関係について言えば、さらに悪化した気がする。まあ、もういいけどね、うん、仕方ない。

大学辞めときゃって思うけど、辞めてもあんまり変わらないよなー。

俺は幸せにいつかなれるのかな。