結構みんな思考停止して働いていませんか
新卒で就職し、何年、何十年も同じ会社で働いている人がいる。
結構な割合、日本人全体で言うと半分ぐらいはそうなのではないだろうか。
この会社勤めの間に何か疑問を抱いたり、考えたり、しなかったのだろうか。
そんなはずは、さすがにないだろう。
いろいろ悩んだり、考えたり、会社をやめようとしたはずだ。
しかし、結局のところ、そうはしなかった。
これは行動力がないとか決断の先送りだとか、そんな言葉でくくれる程単純な問題ではないだろう。かといって、じゃあどうなのかと言われるとよくわからない。
自分には到底考えられないからだ。
ミュージシャンになれるならミュージシャンになりたいし、芸人になら今でもなりたい。サラリーマンとしてせいぜい1000万程度を目指して何十年も働くよりよっぽどいいと思う。借金2000万あっても、やりたいことをやれる人生は幸せだ。客観的にどうとかではなく、自分がどう思っているかが重要なのだから。
つまるところ、価値観の違いなのである。
仕事にやりがいいわいわよりも、現在の安定というものが余程大事な人が大半なのだ。
生活のために働いているのである。それが「ふつう」の価値観なのだろう。
では生活はなんのためにあるのだろうか。なんで、生きているのだろうか。
そこに主体性はあるのでしょうか。
生きたいと思って、生きているのだろうか。
多分、ちょっと違う。
大半の場合は、いきたいとかいきたくないとか考えずに、なんとなく自然と、生きているのである。
自殺する人間はバカだというけれど、自殺も考えずにのんべんだらりと自分が主体的に選択をして生きていると考え、集団に帰属しながら働いている大勢よりも自殺を少しでも考えるひとのほうがよっぽど賢いと僕は思うのですが、いかがでしょうか。
働くというのは、人生の大半の選択のはずだ。働く以外の選択肢だってあるし、働き方にだって人の数だけある。サラリーマンという選択を否定するつもりは全くない。主体的に能動的選択でサラリーマンになることは素晴らしいと思う。または自己保全の手段として組織に属し、一定の給与をもらうという形態で生きるのも悪くはないだろう。守るべきもの、愛すべきもの、背負っていく責任があれば大抵は最善の策と言える。けれども、なんとなく、周りに流され、サラリーマンを続けているのはどうだろうか。やりたくもない仕事をやり、なんのスキルも身につかない。組織を離れればなんの汎用性もない人材にしかならず、価値は社会人歴という意味不明な経歴だけ。
そんな人間になりたいのでしょうか。そんなことを考えるのは、バカでしょうか。
まさしく今の自分こそが、その思考停止中のサラリーマンの一部であるということに、今現在愕然としているところです。