新卒広告サラリーマンのつぶやき

経済的な自由を求めて

人生の密度

僕は 1991年生まれ、25歳。

 

もうこの歳になると25歳という年齢以外に共通点はないほど、

ひとは変わっていく。

 

成功しているもの、失敗しているもの、平凡なもの。

様々な人生があり、ドラマがあり、結果がある。

 

成功している人は、それはそれは羨ましい。

すごいよ。

 

失敗している人は、それはそれで羨ましい。

だって、数多くの挑戦をしてきたんだから。

すごいよ。

 

平凡な人は、すごく羨ましい。

平均的な幸せの中には、友達や収入やいろいろな平凡と君が思っているすべてがつまっている。

すごいよ、すごく羨ましい。

 

でもね、25歳っていうとそこそこ長いよね。

人生50年の国なら、人生の半分は終わったよね。

70歳から75歳の5年と20歳から25歳の5年は違うからね。

何をやってきたか、何を感じてきたか、どういうひとと関わってきたか、

それってすごくすごく重要だと思うんだ。

 

だから、25歳にして、空っぽの人生を歩んできていることが、

一番嘆かわしいことだよね。

人生の濃度はそんなに変えられることじゃない。

25歳にして何ももっていないんだ、僕は。

お金とか人間関係とかそういうことももちろんあるけれど、

そうじゃない。

経験の濃度が圧倒的に薄すぎる。

 

だから、いま、すごく絶望してる。

取り戻せない時間を、取り戻そうと必死に悩んでいる。

いったい僕は、この数年間、いや10年、なにをやってきたのだろうか。

何を考え、生きてきたのだろうか。

 

お金も知識もスキルも教養も経験も言葉では語れないすべてがぽっかり。

ぽっかりだ。

僕にはない。

 

小説家になりたい、そう思った17歳。

でも、描くものがない。だから東京に行こう。

そう思って東京を目指した。

東京に行くまで2年かかった。

村上龍のようにその2年に描くほどの経験はなかった。

だから、大学に入って得よう。そう思った。

けれど、大学に入ってからの数年は、東京にいない頃の

数年と同じだった。

僕は引きこもりだった。

僕はニートだった。

僕は、普通の人間じゃなかった。

 

そして今、普通の人間になろうとして会社に入った。

でも、僕はそもそも違った。

側はなんとなく同じだったけれど、側だけだった。

だから、僕に普通は通用しないんだと思う。

世の中の普通は、普通の人間ようにできているのだから。

 

僕は25歳。

5年間、僕は20歳。

5年前と同じことを僕は書いています。

5年前と同じことを僕は考えています。

5年前と同じように僕は絶望しています。

5年前と同じように会社(大学)を辞めれていません。

ここに意味はないのに。

これから僕はどのような人生を歩むのでしょうか。

きっと想像と同じでしょう。

その想像が外れますように。

それだけが唯一の希望です。

 

変えたい。

僕を変えるのは、結局僕しかいない。

変わらないという想像が、

きっと変わりますように。

 

変えるには、何かを変えるしかない。